明治維新以降、文明開化の流れを受けて欧米風のファッションが流行。京都では1888(明治21)年頃、西陣の職人がリボン織機をドイツから輸入したことを機に日本の織物業会において最初の工場組織が完成。その後、絹織物の産地として広く知られた福井県でもリボン製造のメーカーが設立され始める。京都、福井を中心に日本においてもリボン製造が盛んになります。糸商に勤め京都と福井を行き来していた野澤嘉一は、当時高級品であったリボンに目を付け、リボンの専門問屋として丸進を創業します。
1950(昭和25)年に丸進商店を設立。多種多様な商材を扱い、着実に国内の卸先を拡大していきました。
そんな中、もっとも力を入れたのが輸出事業でした。当時繊維業界で海外市場に着目する企業はほとんどない中で海外展開用のブランド「ローズブランド」を立ち上げます。
リボンだけにとどまらず、紐やレース、フリルなどを商材に販路開拓に乗り出し、直輸出のルートを拡大。東南アジアにおける一つのブランドして確立されました。
仕入先との関係を大切にし、プライベートにおける交流も重要視していた嘉一は、「ローズ会」を設立します。当時の規約には「会員相互の親睦を図り、斯業の研究、情報連絡を密にして株式会社丸進商店を中心とし、ともに発展に寄与することを目的とする」とあり、春と秋に2回開催される総会では情報交換のほか、温泉旅行地でのゴルフや麻雀といったレクリエーションを企画。時には海外(カナダ)へのツアープランが組み込まれるなど参加者たちはお互いにビジネスパートナー以上の親睦を深めることができました。
1971(昭和46)年、アメリカのリチャード・ニクソン大統領が、声明を出し、外国為替市場が混乱に陥った「ニクソンショック」。当時輸出事業を主力としてきた丸進は、国内販売への方向転換を決断。
大阪や神戸の輸出商社との貿易取引を中止し、貿易事業を直輸出のみに絞る。各拠点に人員を配置し、販路開拓に乗り出します。新しい市場の開拓を目指し、丸進はアパレル分野とのパイプ強化に注力します。
1970年代、国内販売を強化していた丸進は、これまでパイプのなかったアパレル分野などの新市場へ進出。それに伴い、オリジナル商品が必要不可欠となりメーカーと協力して商品の企画・開発に乗り出します。
さまざまな試行錯誤の末オリジナルブレードの製品化に注力。当時取引が始まった御田釦販売株式会社の紹介でニット専門のデザイナー渡部頼子と出会い、、メーカー、デザイナーと二人三脚で、他社にはない丸進ならではのオリジナル商品が充実していきます。
1980年(昭和55)年、丸進は創立30周年を迎えました。
創立30周年記念祝賀会は京都ロイヤルホテルで開催。「問屋は仕入先があってこそ」という考えのもと式典には三和繊維の三上氏をはじめとする仕入先の会社を中心に招待。特別講演は、経営コンサルタントとして京都の伝統文化を経営面でサポートしてきた蒲田春樹氏が登壇。会場には華やかな祇園舞妓も登場し、節目の年に盛大に祝いました。
同年、野澤義忠が代表取締役社長に、野澤嘉一が代表取締役会長に就任しました。
旧丸進ビルは、1963(昭和63)年に建設され、周囲に高い建物がなかった当時の西陣では、非常に目立つ存在の建物でした。しかし20年以上が経過すると老朽化が目立ち、入社希望する学生の親から「将来の見込みがないのでは?」との声も届き、新入社員採用活動にも影響が出ていたため、新社屋の建設を決断します。
1991(平成3)年。丸進が扱う製品の特長をデザインに落とし込み、中でも1階ショールームは手芸の楽しさを感じられる空間として展開。手芸好きの一般顧客が多く訪れました。
アパレル業界の主戦場である東京への進出は、丸進にとって長年の夢でした。大手アパレルメーカーのほとんどが東京を中心に事業しているため、販路拡大には東京への支店の展開が必要不可欠でした。平成に入社した若い社員たちが新天地での拠点展開に対して意気込みを見せ、住居を東京へ移すことを決意。2000(平成12)年3月、東京店の開設を実現しました。
月2回の東京出張という営業活動は、拠点を東京に置いたことで飛躍的に強化され売上は大きく増加しました。2009(平成21)年頃、国内においては東京の売上が京都を上回り、本拠地以上の成果を発揮しました。
2001(平成13)年、京都本社の若手・中堅社員を中心に、国内で扱う全商品を掲載した「総合写真カタログ」の制作に着手。これまで商品別になっていた営業ツールを1冊に集約されるのには膨大な作業時間を要しました。
商品一つひとつを整理・分類することから始まり、掲載写真は実物と同じ色味や風合いをきびしく精査し、約2年の月日を経た2003(平成15)年、約1,700点の商品を掲載した400ページ以上のカタログが完成。この総合カタログの活用により、2003年度には丸進初となる20億円の売り上げを突破しました。
1990年代後半、中国での紡績業の伸長と価格優位性から、アパレル製品の多くが国内から中国縫製へと移行。それに伴い、日本のアパレルメーカーが次々に中国へ拠点を展開。主要得意先の二次問屋である大手各社も中国進出を果たし、資材調達の拠点づくりを求められた丸進は、2002(平成14)年に丸進服飾(上海)有限公司を設立します。
大ロット生産の中国ではまだ日本のような細やかな技術はなく、品質への要求が高い日本の二次問屋は丸進に発注することで中国にはない品質が低価格で担保できると考えました。丸進はこの厳しい要求に応えることで中国市場で成長を遂げました。
2007(平成19)年、企画力強化を目標に丸進は企画室を発足させます。これまで丸進は商品企画を外部に委託していましたが、生産機能を持たない問屋がメーカーに対抗するには、社内で企画・提案力を磨き、自社の特性と各仕入先の強みを深く理解した社員を育成する必要がありました。
自社商品の使い方を発信する企画として好評を得た「販促マップ」は得意先から「商品の使い方がイメージしやすい」と評判になり、現在では得意先のオリジナル販促マップの制作依頼も受けるようになりました。
現在企画室はウェブ管理や展示会ブースのレイアウトなども担い、丸進にとって重要なセクションとなっています。
これまで丸進は「B to B」の業務形態取ってきましたが、2000 年代のインターネットの普及に伴い、ネット通販の市場規模が拡大。丸進が抱える多くのサンプルが、手芸好きの一般顧客に需要があるのではないかと2010(平成22)年にオンラインショップ「ROSE ROSA」を立ち上げ、カットしたサンプルの販売を開始。開設早々「通常店舗では販売されていない素材が手に入る」と評判になり、2018 年には約5,000 万円の売上を誇るまでに成長しました。
2010年代に入り中国の人件費の高騰で、ASEAN(東南アジア)へ縫製基地を移転する企業が増加。ベトナムは中国よりも人件費が安いだけでなく、労働集約的な縫製業に特化していたため、先進国向けの輸出生産拠点が集まり始める。
丸進は専門問屋として続けてきましたが、海外では生き残れないとベトナムにメーカー機能を持たせた生産拠点を置くことを目的に2015(平成27)年、ホーチミンに駐在員事務所を開設。そして2018( 平成30 )年10月、MARUSHIN(VIETNAM) & CO., LTD.を設立し、ベトナムでの生産拠点が本格始動しました。
「京都プレミアム」事業の一環として誕生した「MUSUBI-YA」ブランドは、丸進にとって一般向け製品作りの第一歩となる企画でした。しかし「MUSUBI-YA」が量産できる製品ではなかった為、この反省点を活かし、2016(平成28)年、丸進は新たなオリジナルブランド「line-R」を誕生させました。コンセプトは「自分自身を飾る紐」。自社商品の紐やリボン、レースなどを服の飾りだけでなく「もっとさまざまな使い方ができるのではないか」と考え、多様な機能を備えたオリジナルマルチバンドへと発展させました。